燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ
破局の残骸を継ぎ合わせ、核の普遍史に抵抗する連帯の場を開く
「唯一の戦争被爆国」の神話を突き崩す「逆流」(殿敷侃)を芸術に見届け、近代史が集積した広島の今を問う。他者の記憶が行き交う街路(パサージュ)を開くために。「震撼させられた者たちの連帯」(ヤン・パトチカ)の可能性を探る『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ』以後の広島/ヒロシマをめぐる思考を集成。
四六判・並製 303頁
カバー作品・殿敷侃《川岸》1965年 広島県立美術館所蔵
2022年7月20日刊
燃エガラからの思考 記憶の交差路としての広島へ 目次
文月に思う広島 ──はしがきに代えて p.002
序 ベルリン‐ヒロシマ通信 p.015
第一部 記憶とその造形
殿敷侃の点描 p.028
そこに歴史はない ──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う p.032
ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》
──Haus der KunstのPostwar展における第二部「火」と第六部「原子野」の展示について p.052
逆流の芸術 ──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術 p.056
抗う言葉を分かち合う ──芸術と批評の関係をめぐって p.086
第二部 記憶の詩学
記憶する言葉へ ──忘却と暴力の歴史に抗して p.104
言葉を枯らしてうたえ ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う p.134
残余の文芸のために ──『越境広場』という試みによせて p.153
嘆きの系譜学 ─うたの美学のために p.163
第三部 ヒロシマ批評草紙
〈死と再生〉を物語る音楽を問う ──能登原由美『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』書評 p.188
〈原爆〉を読み継ぐことへの誘い ──川口隆行編著『〈原爆〉を読む文化事典』書評 p.195
非核の未来へ言葉を渡し、命をつなぐ手仕事の記録
──岡村幸宣『未来へ──原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011─2016』書評 p.199
手つきと身ぶり ──広島で『月夜釜合戦』を『山谷(やま)──やられたらやりかえせ』とともに観て p.206
記憶を分有する民衆を来たるべき東洋平和へ向けて創造する
──平和を掠め取り、言葉を奪い、生を収奪する力に抗して p.213
七月二十六日を記憶に刻む p.218
生存の文化の拠点としての「倉庫」の再生のために p.222
終わりの始まりへ ──核兵器禁止条約の発効によせて p.229
広島市中央図書館「移設」問題によせて p.235
第四部 記憶の交差路へ
殿敷侃──逆流の生まれるところ p.242
地図の余白から ──記憶の交差路としての広島へ p.246
震撼させられた者たちの連帯の場を開く ──核の普遍史を食い止めるために p.270
あとがき p.295
[著者略歴]
柿木伸之 かきぎ のぶゆき
1970年鹿児島市生まれ。上智大学大学院哲学研究科博士後期課程を満期退学後、上智大学文学部哲学科助手、広島市立大学国際学部教授を経て、現在西南学院大学国際文化学部教授。博士(哲学)。専門は哲学と美学。二十世紀のドイツ語圏の哲学と美学を主要な研究領域とする。芸術評論も手がける。
ウェブサイト:https://nobuyukikakigi.wordpress.com
著書:
『断絶からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学』月曜社、2021年。
『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』岩波新書、2019年。
『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』インパクト出版会、2015年。
『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』平凡社、2014年。
『共生を哲学する──他者と共に生きるために』ひろしま女性学研究所、2010年。
訳書:
『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』アルテスパブリッシング、2016年。
主要共著書:
ハイデガー・フォーラム編『ハイデガー事典』昭和堂、2021年。
加賀野井秀一他監修『メルロ゠ポンティ哲学者事典別巻』白水社、2017年。
野家啓一責任編集『哲学の歴史第10巻──危機の時代の哲学[20世紀I]現象学と社会批判』中央公論新社、2008年。
共訳書:
テオドール・W・アドルノ『自律への教育』中央公論新社、2011年。
クリストフ・メンケ『芸術の至高性──アドルノとデリダによる美的経験』御茶の水書房、2010年。
主要論文:
「貧しい時代の詩──ベンヤミンとハイデガーの反転の詩学」、実存思想協会編『実存思想論集』第37巻、2022年6月。
「地を這うものたちの歴史──断絶の記憶から」、京都大学人文科学研究所編『人文学報』第119号、2022年6月。
「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」、原爆文学研究会編『原爆文学研究』第14号、2015年12月。
「唯一の戦争被爆国」の神話を突き崩す「逆流」(殿敷侃)を芸術に見届け、近代史が集積した広島の今を問う。他者の記憶が行き交う街路(パサージュ)を開くために。「震撼させられた者たちの連帯」(ヤン・パトチカ)の可能性を探る『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ』以後の広島/ヒロシマをめぐる思考を集成。
四六判・並製 303頁
カバー作品・殿敷侃《川岸》1965年 広島県立美術館所蔵
2022年7月20日刊
燃エガラからの思考 記憶の交差路としての広島へ 目次
文月に思う広島 ──はしがきに代えて p.002
序 ベルリン‐ヒロシマ通信 p.015
第一部 記憶とその造形
殿敷侃の点描 p.028
そこに歴史はない ──ベルリンからグラウンド・ゼロとしての広島を思う p.032
ミュンヒェンの芸術の家に掲げられた《原爆の図》
──Haus der KunstのPostwar展における第二部「火」と第六部「原子野」の展示について p.052
逆流の芸術 ──ヒロシマ以後のアートとしての殿敷侃の芸術 p.056
抗う言葉を分かち合う ──芸術と批評の関係をめぐって p.086
第二部 記憶の詩学
記憶する言葉へ ──忘却と暴力の歴史に抗して p.104
言葉を枯らしてうたえ ──吉増剛造の詩作から〈うた〉を問う p.134
残余の文芸のために ──『越境広場』という試みによせて p.153
嘆きの系譜学 ─うたの美学のために p.163
第三部 ヒロシマ批評草紙
〈死と再生〉を物語る音楽を問う ──能登原由美『「ヒロシマ」が鳴り響くとき』書評 p.188
〈原爆〉を読み継ぐことへの誘い ──川口隆行編著『〈原爆〉を読む文化事典』書評 p.195
非核の未来へ言葉を渡し、命をつなぐ手仕事の記録
──岡村幸宣『未来へ──原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011─2016』書評 p.199
手つきと身ぶり ──広島で『月夜釜合戦』を『山谷(やま)──やられたらやりかえせ』とともに観て p.206
記憶を分有する民衆を来たるべき東洋平和へ向けて創造する
──平和を掠め取り、言葉を奪い、生を収奪する力に抗して p.213
七月二十六日を記憶に刻む p.218
生存の文化の拠点としての「倉庫」の再生のために p.222
終わりの始まりへ ──核兵器禁止条約の発効によせて p.229
広島市中央図書館「移設」問題によせて p.235
第四部 記憶の交差路へ
殿敷侃──逆流の生まれるところ p.242
地図の余白から ──記憶の交差路としての広島へ p.246
震撼させられた者たちの連帯の場を開く ──核の普遍史を食い止めるために p.270
あとがき p.295
[著者略歴]
柿木伸之 かきぎ のぶゆき
1970年鹿児島市生まれ。上智大学大学院哲学研究科博士後期課程を満期退学後、上智大学文学部哲学科助手、広島市立大学国際学部教授を経て、現在西南学院大学国際文化学部教授。博士(哲学)。専門は哲学と美学。二十世紀のドイツ語圏の哲学と美学を主要な研究領域とする。芸術評論も手がける。
ウェブサイト:https://nobuyukikakigi.wordpress.com
著書:
『断絶からの歴史──ベンヤミンの歴史哲学』月曜社、2021年。
『ヴァルター・ベンヤミン──闇を歩く批評』岩波新書、2019年。
『パット剝ギトッテシマッタ後の世界へ──ヒロシマを想起する思考』インパクト出版会、2015年。
『ベンヤミンの言語哲学──翻訳としての言語、想起からの歴史』平凡社、2014年。
『共生を哲学する──他者と共に生きるために』ひろしま女性学研究所、2010年。
訳書:
『細川俊夫 音楽を語る──静寂と音響、影と光』アルテスパブリッシング、2016年。
主要共著書:
ハイデガー・フォーラム編『ハイデガー事典』昭和堂、2021年。
加賀野井秀一他監修『メルロ゠ポンティ哲学者事典別巻』白水社、2017年。
野家啓一責任編集『哲学の歴史第10巻──危機の時代の哲学[20世紀I]現象学と社会批判』中央公論新社、2008年。
共訳書:
テオドール・W・アドルノ『自律への教育』中央公論新社、2011年。
クリストフ・メンケ『芸術の至高性──アドルノとデリダによる美的経験』御茶の水書房、2010年。
主要論文:
「貧しい時代の詩──ベンヤミンとハイデガーの反転の詩学」、実存思想協会編『実存思想論集』第37巻、2022年6月。
「地を這うものたちの歴史──断絶の記憶から」、京都大学人文科学研究所編『人文学報』第119号、2022年6月。
「アウシュヴィッツとヒロシマ以後の詩の変貌──パウル・ツェランと原民喜の詩を中心に」、原爆文学研究会編『原爆文学研究』第14号、2015年12月。